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開成でも灘でもない私が高校生クイズ優勝を目指して出場し、人生を変えた話

 毎年の夏の風物詩のひとつともいえる、日本テレビ主催の高校生クイズ(全国高等学校クイズ選手権)。同じ高校に通う生徒が3人1組のチームとなって他校の生徒と競い、全国大会を勝ち抜いて優勝を目指すという、年に一度の人気番組である。参加者・優勝者の中には卒業後もクイズ番組で活躍している人もいる。(例:TBS系列の『東大王』に出演している伊沢拓司くん(2010年、2011年優勝者)や水上颯くん(2012年優勝者)など。《関連記事:『東大王』は、数々のドラマや名場面を私にみせてくれた。》)

 私は高校生の頃、この番組に参加したことがある。開成高校でも灘高校でもない普通の公立の高校だったが、優勝を目指して仲間と出場した。そしてそれがきっかけで、大きな人生の転機を迎えることになった。

1.高校生クイズとは


 近年では学力重視の番組となり、番組内で出場高校が紹介される際には頻繁に『東京大学合格○○名!』『医学部合格○○名!』とのフレーズを目に(耳に)するようになった。また、出場高校も開成高校、灘高校をはじめ、慶應義塾、早稲田、ラ・サール、洛南、東大寺学園、浦和などの進学校が名を連ねるようになった。近年でこそこのような学力重視の大会となったが、放送初期では『知力』『体力』『時の運』をキャッチフレーズとして、学力以外の要素でも勝利が可能という点が特徴であった。たとえば、『ばらまきクイズ』では砂浜や野球場などの広大な土地に問題が書かれた封筒がばらまかれ、それを拾って出題者に渡して回答する形式が採られた。封筒には“ハズレ”も存在するため、知力以上に体力や時の運に左右された。誰にでも正解の可能性があったことから全国の高校生の人気を集め、多い年では20万人以上の高校生が参加した。そして私もまた、優勝を夢見て参加したひとりだった。

2.幼少期の海外での生活と、日本の景色

 私は、親の仕事の都合で幼少期を海外で過ごした。生まれは日本だが、日本語を覚える前にスペインのバルセロナに移住し、最初に覚えた言語はスペイン語だった。

 日本に帰ってきたのは10歳の夏。空港から自宅に戻るタクシーの中から景色をみて驚いたのは、街中が日本語であふれていたことだった。インターネットがなったその時代において、私にとって日本語は、『本の中』のみにあるものだった。日本語のある景色が興味深かった私は、目に映る日本語に興味を持ち、とにかく見ることが常態化した。

 私はもともと“もったいない精神”がある子どもで、昔から物を捨てることができなかった。いま思えばこれは『情報』においても同様で、“目に映るものはそのときに覚えておかなければもったいない”という考えだったのだと思う。
 今でこそインターネットが発達し、誰でもパソコンやスマートフォンで簡単に調べ物をできる時代となったが、インターネットがなかった時代では、調べ物をするのは一苦労だった。例えば、『歴代の女性の国民栄誉賞の受賞者』『アメリカの土地の値段と日本の土地の値段の比較』『宇宙人の研究が盛んな国』など、今ならインターネットですぐに調べることができるが、当時は調べ物をする際は『大人に聞く』か『図書館に行く』くらいの選択肢しかなかった。とはいえ、大人が常に何でも知っているわけではないし、私が住んでいたのは小さな町だったため、図書館も小規模で答えは期待できなかった。

 この点、テレビ番組は非常に興味深いもので、さまざまな情報を提供してくれた。(今となっては怪しい情報もあったと思うが。)
 調べる手段が限られていた(もしくは“ない”)時代において、目に映る情報・耳に入る情報は、その場・そのときに記憶しなければ“もう二度と(一生)知ることはできない”という、強迫観念にも似た意識が私に働くようになった。情報に対する“もったいなさ”と“強迫観念”から、私は自身が触れる情報を何でも覚えるようになった。当時はそれが特別なもの(行為)であるとは思わず、人は皆、そうやって生きていくものだと思っていた。

3.高校生活と、仲間との出会い


 高校入学後、他の生徒との会話の中で、『よくそんなこと知ってるね』と言われることが多くなった。毎日のようにいろいろなことを目にし、記憶していた私は、どうやら“博識”の仲間入りをしていたらしい。

 高校2年生の夏、テレビで放送された高校生クイズを見たとき、出題される問題のほとんどに回答できたことが印象的だった。このときに初めて、『自分も参加しよう』と思った。 
 参加するには3人で1チームとなる必要があった。メンバーは、チームバランスを考えるとなるべく得意分野の異なる3人が理想だった。残りのメンバーを誰にするかは、直ぐに思い浮かんだ。

 いろいろなことを知っていた私だが、実は学業に関しては全くといっていいほど得意ではなかった。これはおそらく、知識を得る動機が『あれも知りたいこれも知りたい』という“知識欲”に基づくものではなく、『今覚えなければもう二度と知り得ない』という“強迫観念”に基づくものであったからだ。つまり、“教科書に載っている内容はいつでも確認できる”という考えから、覚える優先順位が低かったのだと思う。それゆえ私は、“学業成績はよくないが、それ以外のことであればそれなりに知識がある”という、ややアンバランスな生徒となっていた。高校での成績こそ10段階で5~6と並であったが、それは出題範囲が明確に分かる定期試験の結果であり、全国模試の偏差値では35~42程度という、お世辞にも“賢い生徒”とはいえなかった。

 私のこうした弱点を埋めるために、メンバーの1人として選んだのは学年でトップの成績だった吉野(仮名)だった。吉野は校内の成績だけでなく、定期的に受ける全国模試の成績も優秀だったため適任だった。また、吉野は運動系の部活でキャプテンを務めていたこともあり、まさに文武両道の生徒だった。
 もう1人のメンバーに選んだのは、私と同様に学業成績はイマイチだが、ゲームやアニメ、マンガなどのサブカルチャーに詳しい、やや小柄でインドア派の野田(仮名)だった。
 この3人のチームであれば、学業、スポーツ、サブカルチャーのいずれの問題もカバーできると考えた。私が2人に参加を打診すると、2人は興味を持って快諾してくれた。

 こうして、私たちは時間があれば3人で集まり、高校生クイズの対策を採り合うようになった。

4.大会当時


 高校3年生の夏、いよいよ大会当日を迎えた。最初で最後の高校生クイズ。予選が行われる地区大会の場所は、大阪府・豊中市にある服部緑地公園。

 会場近くの公園のトイレは、常に混んでいた。参加者がさまざまなキャラクターや有名人のコスプレをするためだ。一度はテレビで目にしたことがあるようなキャラクターや衣装がひしめく会場。真夏の熱い陽射しを浴びながら、参加者の目は一様に輝いていた。テレビカメラや関係者・スタッフも多くいて、ところどころで目にする『ライオンスペシャル 第○回全国高等学校クイズ選手権』という文字が、私の心を躍らせた。

 会場に参加者の全員が集まり、いよいよ地区大会が始まった。大会が始まると、毎朝のように日本テレビ系列の番組で観るアナウンサーが総合司会として現れた。大いに盛り上がりをみせる会場。テレビでしか観れなかった光景が眼前に広がり、自分たちが高校生クイズに参加しているという実感が強くなる。

 地区大会予選は、〇×形式で行われた。会場には『〇ゾーン』と『×ゾーン』が設けられ、出題者の問いに対していずれかのゾーンに移動する。一度でも間違えると、その場で予選敗退というルールだ。会場で一通りの説明が終わると、いよいよ大会が始まった。一問たりとも間違えられない戦いである。

『第一問。“急がば回れ”とは、もともとは琵琶湖を回ることが語源となっている。〇か×か』

 会場がほんのわずかな時間だけ静寂に包まれると、次第に各チーム内で相談する声が大きくなっていき、会場がにぎやかさで満たされていった。

『〇だと思う』

 最初に口を開いたのは、サブカルチャーに詳しい野田だった。

 私と吉野は口を開かない。

 私は直観的に、×だと思った。根拠があったわけではなかったが、“険しい山を越えるくらいなら遠回りしたほうがいい”という考えが語源になっているのではないかと、ふと思い浮かんだのだ。なので吉野と野田に、

『根拠があるわけじゃないけど、×だと思う』

と伝えた。そして吉野に、

『どう思う?』

と尋ねた。しばらく下を向いて考える吉野。沈黙のまま。3秒~5秒くらいが過ぎた。そして吉野は顔を上げて真剣な表情で私を見て口を開いた。

『実はさ、ずっと伝えようと思ってたことがあって』

想定外の言葉。

『何?』

と聞き返す私。

『高校に入学して、これまでずっと部活動と勉強ばっかりだったけど、高校最後の年でこうやって高校生クイズに誘ってくれて、本当に嬉しかった。』

『???』

戸惑う私。そして吉野は続けた。

『だからさ、もしも野田と□□(私)の答えが割れて、それでも(自分が)答えが分からなかったら、もう□□(私)の答えに合わせようと思ってた。それが、高校最後の年にこうやって誘ってくれた□□(私)に対するお礼だと思うから』

 学業成績も優秀で運動もできるあの吉野が私にそんなことを言うなど想像もしていなかったので、嬉しさもあったが何より私は驚き、感慨深くなった。周囲が和気あいあいと活気づく中、自分たちの時間だけがゆっくりと流れる感覚。それはまるで、ドラマや映画で観るようなシーンだった。私がひとつの決断を下す。
 嬉しくなった私は二人に向かって、

『絶っっっ対、全国行こう!』

と言った―――――

5.その後

 結論を言えば、私たちの夏は地区大会の一問目で終わった。つまり、急がば回れとは琵琶湖を回ることを指していたのだ。

 私がこのときに得た教訓は、『決定権を持つ人間は、必ず賢くなければならない』というものだ。どれだけ小規模なチームであれ、大規模な組織であれ、最終決定権を持つのはひとりである。そのひとりの決定に、全メンバー・全構成員が有無を言わさず巻き込まれることになる。高校生クイズでの私の判断は、結果的に他のメンバーを巻き込むことになった。このときは幸い、笑い話となって今でもこのメンバーで集まって当時の様子を語り合う美談となっているが、世の中の全てがこのような美談で済むものではない。

 この経験を期に、私は学業にも真剣に向き合うことになった。当時は偏差値が35~42程度だったが、その後に猛勉強の末、(多少の時間はかかったが)私立大学で最も偏差値の高い大学に合格し、入学することができた。
(補足となるが、『家庭教師・臨床心理カウンセラー経験者の私が映画『ビリギャル(主演:有村架純)』を観た感想』で少し触れた“勉強で悩んだ時期”というのは、高校生クイズ~大学合格までの話である。)

 大学入学後、私はさまざまな分野の学問に触れることになる。心理学、組織学、社会学、法律学、経済学、政治学、国際関係学、生物学、人類学など。一般的な4年制の大学であれば卒業に必要な単位は128~144単位だが、私は200以上の単位を取得して卒業した。
 私にとって学ぶ動機は、いつしか“強迫観念”ではなく、“人の利益を実現するために”に変わっていった。得られた知識や経験は、その後のさまざまなキャリアの中で、いろいろな人たちに対して少なからず生かすことができたと思う。(関連記事:『JALとANAの採用試験(客室乗務職)を受けた話』)

 あのとき、正しい答えを提示できなかった私だが、ようやく(そしてそれは、おそらくほんのわずかだが、)正しい選択肢を提示することができるようになったのかもしれない。あのときの経験があったからこそ、今の私がいて、今のキャリアがあるのだと思う。
 高校生クイズに参加した経験は、私に選択と決断、そして賢くあることの大切さを教えてくれた。私は今後も、不定期に訪れる『選択のとき』に備えて日々、学んでいこうと思う。それこそが、あのときの教訓を生かすということなのだから。

【関連情報】
◆ライオンスペシャル 高校生クイズ2018
・放送日時:9月14日(金)よる9時
・メインパーソナリティ:千鳥(ノブ・大悟)
・スペシャルパーソナリティー:千葉雄大
・メインサポーター:乃木坂46
・公式サイト:http://www.ntv.co.jp/quiz/index.html

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