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日本語と英語の母音と子音の関係から、『漢字』『ひらがな』『カタカナ』の濁点・半濁点の歴史を振り返る。

 ローマ字の読み方で、『K(※《か行の子音》)』と『YO(よ)』を足して『KYO(きょ)』となるのは、感覚として容易に理解できるといえる。
 これに対して、『K(※《か行の子音》』に濁点をつけて“が”になるのに、なぜローマ字では子音が『K』⇒『G』になるのかについて、疑問に思ったことがある人もいるかもしれない。すなわち、『K』と『G』は異なる文字(子音)であるのに、いずれも日本語では『か』と『が』として、『か』を用いて表示されているという違和感だ。なぜ古来の日本人たちは、『が』や『ざ』、または『ぱ』や『ぴ』などの音を文字にするときに独自の文字をつくらなかったのか。これには、日本語の文字の歴史が関係している。

『漢字』『ひらがな』『カタカナ』の歴史

 日本語では、『漢字』『平仮名(ひらがな)』『片仮名(カタカナ)』の3種類の文字を使用する。『ひらがな』は、漢字を元にして日本語を表記するために発明された文字である。漢字は文字そのものが意味を持つ“表意文字”だが、『ひらがな』は文字そのものが意味を持たずに発音のみを表す“表音文字”である。

 『ひらがな』の歴史をみると、飛鳥時代(538年-710年)から奈良時代(710年-794年)の“万葉仮名”にたどり着く。万葉仮名は、一つひとつの文字が意味を持つ『漢字』を、その意味に関係なく日本語の一つひとつの音として表したものである。当時の漢字の使用方法としては斬新なものだった。例えば、“い”という音(一音節)を表すために漢字の『以』『伊』『異』などが、本来の字義(意味)とは無関係に用いられた。こうした表現は『古事記』や『日本書紀』などの一部にも使用されているが、日本最古の和歌集といわれる『万葉集』の表記に主に使用されていたことで“万葉仮名”と呼ばれるようになった。
 その後は“万葉仮名”を崩した草書体から『ひらがな』が、そして“万葉仮名”の一部が音を表す訓点や記号に変化して『カタカナ』が誕生し、定着していったといわれている。

 なお、“万葉仮名”を崩して草書体にした初期の『ひらがな』も、“万葉仮名”と同様に、ひとつの音に対してひとつの文字のみが用いられていたというわけではなかった。明治33年(1900年)の小学校令で仮名の字体が現在の50音に定められるまでは、例えば“い”は漢字の『以』を元にした現在の“い”の他に『伊』や『異』なども使用されていた。『ひらがな』の“ゐ(い)”や、『カタカナ』の“ヰ(い)”などは、その例である。(それぞれ“為”と“井”が元になっている。)(なお、奈良時代には、『カタカナ』の“ヰ”と“イ”、平安時代には『ひらがな』の“ゐ”と“い”はそれぞれ別の発音として区別されていた。平安時代の中期以降から次第に混同され、鎌倉時代(1200年頃)には同一化されるようになったといわれている。)

 ちなみに、『ひらがな』は、“女手(おんなで)”や“女文字”とも呼ばれていた。これは、『ひらがな』が和歌を詠むときなどの私的な場面以外では、主に女性が使用する文字とされていたためである。これに対して、ひとつの音にひとつの漢字をそのまま当てはめた“万葉仮名”は、男性が漢詩や公式文書などに使用する文字ということで“男仮名”と呼ばれていた。
 “女手”や“女文字”と呼ばれた『ひらがな』が用いられるようになったことで、枕草子や源氏物語や更級日記など、平安時代の女流作家による作品が次々と生み出されることになった。この点で、『ひらがな』の誕生は日本文学にも大きな影響を与えたといえる。

『ひらがな』『カタカナ』の不備と変化

 『漢字』が持つ本来の意味を排除した表音文字として登場した『ひらがな』は、その性質ゆえに利便性が高いものだったが、誕生した当時は大きな不備があった。その不備とは、濁音(例:『が』『ざ』)や半濁音(例:『ぱ』『ぴ』)を表すものがなかったという点である。現代では濁音を書き表す際には濁点(□゛)を、そして半濁音を書き表す際には半濁点(□゜)を付けるのが常識となっているが、『ひらがな』が成立した当初はこれら濁点・半濁点がなく、清音(例:『か』『は』)と濁音の違いは文脈の流れから判断されていた。

 そんな中、最初の濁音記号は平安時代に経典の記号から生まれたといわれている。『ひらがな』の濁音を表すためにまず導入されたのは、“陀羅尼(だらに)”という仏典を音読する際に使われていた声点と呼ばれる記号だった。元は漢字の横に『・』を入れてアクセントを表すためのものだったが、この点を『・・』にして仮名の横に付けることで濁音を表した。この他にも濁音を分かりやすく表すための試みからいくつかの記号が発明され、それらが次第に現在の濁点(□゛)に統一されていった。
 濁点が法令文書のような公的な文書にまで用いられるようになったのは、昭和に入ってからである。明治22年(1889年)に公布された『大日本帝国憲法』には、“天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス”のように濁点が用いられずに記されていた。

半濁点の登場

 濁点の起源は平安時代~鎌倉時代(1200年頃)だが、半濁点(□゜)の起源は室町時代(1400年頃)といわれている。この時代は、ポルトガルなどの外国から宣教師がキリスト教の布教のため来日するようになった時代である。

 日本に来た宣教師たちは布教のために日本語の勉強をしていく中で、日本語の仮名表記に『p(半濁音)』を含む音を表す文字がないことに気付く。この問題を解決するために、濁音を表す濁点(□゛)が生み出されたのと同じように半濁音を表記するための記号が必要となった。そこで新たに発明されたのが、元々は清音(『か』や『さ』)などの強調を表すための記号から発明された半濁点(□゜)だった。
 なお、半濁点は『ぱぴぷぺぽ』を表すために『は行』の文字に用いられる以外にも、言語学や一部の外国語を学ぶ場などで用いられることがある。例えば、濁音の『が(ga)』と鼻濁音『が(nga)』を区別するために、鼻濁音の『が(nga)』を『か゜』と表記することがある。(例:鏡(かか゜み))
 また、明治時代には外来語のラ行音のうち、L音由来のものとR音由来のものと区別するために、L音由来のものには半濁点を添えて『ラ゜』『リ゜』『ル゜』『レ゜』『ロ゜』と表記されていた。(現代語で例を挙げれば、『コピーライター』を意味する“advertising copywriter”であれば[ライター]、『たばこ用ライター』を意味する“cigarette lighter”であれば[ラ゜イター]となる)

時代によって変化する日本語

 冒頭で述べたように、『K』と『G』は異なる文字(子音)であるのに、いずれも日本語では『か』と『が』として『か』を用いて表示されている。これは、上述したように表記が清音(例:『か』)であっても文脈によって“か”もしくは“が”の区別を行って読み分けていたためである。これに対して『H』と『P』が異なる文字(子音)であるのにいずれも日本語では『は』と『ぱ』として『は』を用いて表示されるのは、仮名の誕生当時は半濁音の表記をつくる必要がなかったためである。

 以上のことから、濁点・半濁点の歴史を振り返ることで、古来の日本人たちが『が』や『ざ』、または『ぱ』や『ぴ』などの音を文字にするときに独自の文字をつくらなかったのは、清音の発生と濁点・半濁点が必要となった時期が異なるからであることが分かる。

◇参考サイト
日本文化と今をつなぐ。Japaaan
明治初年の教科書に見る仮名の表記

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