人類学者の雑記ブログ(脳科学から統治理論まで、理系文系幅広く。)

  1. 生命・進化
  2. 31 view

知識の量は、“結論の正当性”に比例するか

 日常生活において正しい選択や判断を行う上で、知識は必要不可欠な要素である。以下では、人が有する知識の量が、それを基に行う選択の正当性にどのような影響を与えるのかについて考える。

知識の増加による結論の変更

 ある高校生がテレビを観ていると、画面の中で街頭インタビューを受けている会社員が『公務員の給与を引き下げるべきだ』と主張していたとする。そこで公務員の給与がいくらであるかを知らなかったその高校生は、公務員の年収を調べることにした。その結果、この高校生は公務員の年収が654万円であることを知った。とはいえ、それだけではこの金額が高いのか低いのかがわからない。そこで彼は、民間企業労働者の平均年収を調べた。すると、公務員の年収が654万円であるのに対し、民間企業労働者の平均年収が473万円であることを知った。
 それぞれの年収を『知識』として得た彼は、公務員の年収が民間企業労働者と比べて高い水準にあることから、『公務員の給与を引き下げるべきだ』という主張に【賛成】した。

 そんな彼をみていた大学生(経済学部)は、彼に次のように言った。『それは経済学を学んでいない者の考え方だ。公務員が高い給与を得ているから、民間企業が作る製品をたくさん買うことができるのだ。もしも公務員の給与が下がってしまったら。民間企業の売上げが減少し、結果的に民間企業労働者の給与も下がってしまう。公務員が“消費者”として製品を買っていることを忘れてはいけない』と。
 公務員の高い購買力が経済を支えているという『知識』を得た高校生は、先程の会社員が経済学の基礎を知らずに『公務員の年収を下げるべきだ』と主張していたことを知り、それに対する自身の【賛成】を取消し、会社員が主張する『公務員の給与を引き下げるべきだ』という意見に【反対】した。

 次に、この二人の会話を聞いていた大学院生(経済学専攻)は、二人に次のように言った。『公務員の高い給与が民間企業に対する購買力になっているのは事実だ。すなわち、彼らの給与が引き下げられれば、彼らが購入できる製品の量は減少し、企業が販売する製品の量が減少することから、民間企業の収益は悪化する。だが、ここで考えてほしい。公務員の給与は、民間企業労働者の給与から“税金”という形で徴収したものだ。つまり、公務員の給与を引き下げれば、引き下げられた分はそのまま民間企業労働者が使用できる金額の増加分になる。すなわち、民間企業労働者が使用できる金額が増加した分、民間企業の製品を購入することができるようになる。もっとも、これだけなら公務員が製品を購入しようが民間企業労働者が製品を購入しようが違いはないといえる。しかし、ここで“消費性向”について考えなければならない。“消費性向”とは、自身が手にした給与の内、消費する割合をいう。例えば、給与が100万円で消費分が50万円としよう。この場合、消費性向は0.5となる。そして、この“消費性向”は統計上、給与の額が増加するほど小さくなる傾向がある。たとえば、年収200万円の人は年間180万円消費し(消費性向0.9)、年収400万円の人は年間320万円消費し(消費性向0.8)、年収500万円の人は年間350万消費する(消費性向0.7)といったように、年収が増加するにつれて消費性向が小さくなっていく傾向がある。つまり、年収が654万円の人よりも、年収が473万円の人の方が消費性向は高くなり、それゆえ年収が低い民間企業労働者全体の方がより多くの製品を購入することになる。すなわち、“購買力”の観点から考えるならば、年収が473万円の民間企業労働者から税金を徴収して公務員に分配するのであれば、公務員の年収は民間企業労働者と同額の473万円か、もしくはそれよりも低くなければならない。そうでなければ、民間企業の売上は下がり、景気が悪化するからだ』

 こうして、大学院生の話によって“消費性向”の『知識』を得た高校生は納得し、『公務員の給与を引き下げるべきだ』という主張に再度【賛成】した。

過信の危険性

 上記の事例では、知識がなかった高校生が知識を得るにつれて、自らの意見を賛成→反対→賛成と変化させている様子が描かれている。こうした『知識の増加による結論の変更』は、一般的な組織や社会の中でも多くみられる。
 社会全体を巻き込む議論の事例のひとつとして、軍事力の保持に関する議論が挙げられる。

 ある少年が、『“悪い人”や“悪い国”の脅威に立ち向かうため、国には警察が軍隊が必要だ』と考えとする。やがて彼は成長し、各種の教育機関や様々なメディアを通じて戦争の歴史を学ぶことになるとする。そこで彼は、『かつて自国に軍事力があったために、他国に多大な迷惑をかけた』と認識するかもしれない。そしてその認識ゆえに、軍事力を放棄することを望むかもしれない。これは彼が有する知識を基に下した結論である。
 この結論を下した時点で彼が知識の習得を止めるか否かにより、彼のその後の人生観や哲学・理念・信念は大きな分岐点へと差し掛かるかもしれない。知識の習得を止めた彼は、もしかするとその後は一貫して『軍事力の放棄』を唱え続けるかもしれない。しかし一方で、彼が知識の習得を止めなければ、異なる結論に至る可能性もある。
 これまでの国際社会の歴史の中で、強大な軍事力(=防衛力)を有していない国々はことごとく滅び、強大な軍事力(防衛力)を有する国はことごとく存続し続けているその事実を知れば、彼はかつて唱えていた『軍事力の放棄』を撤回し、“防衛のための軍事”の必要性を唱えるかもしれない。

 『どの程度の知識を得れば、正しい結論・判断に至るか』という点について、共通の解はない。それゆえ、人は常に『自身が有する知識』に対して過信することを避けなければならない。そして同時に、『正しい結論』に至るべく、自身の結論に固執することなく常に知識を習得し、結論を精査し続けなければならない。もっとも、知識に単純接触効果保有効果が生じるのであれば、知識に基づく結論の正当性の精査は容易ではないといえる。

生命・進化の最近記事

  1. 『おばあちゃん効果』と『おばあちゃん仮説』は別物。人類学者が違いを簡潔に解説

  2. 肥満であると、糖尿病の前段階でも腎臓に負担がかかっている

  3. 柑橘系の香りでオレンジ色が覚えにくくなる。-安易な香り付けが逆効果になる可能性-

  4. 日本人の睡眠不足が15兆円の経済損失をもたらしている

  5. ヒトは、『自分は平均以上』と錯覚する。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP